女性の芸人さん

予定より半日遅れてしまったけど、今週中に方をつけたいと思っていたことがなんとか終って、涙が出そうになるほどほっとした。でも意地で片付けたとこもあるから、あとからクレームがくるかもしれないとドキドキしてます。着実に前にすすんではいるけれども、まだまだ気がぬけない…。




年末に見た番組でもうひとつ印象深かったのは、中居くん司会で深夜にやっていた、女芸人さんがたくさん出てきて中居くんの出題するアンケートみたいなものに答えていた番組です。
「女性の芸人として心がけていることは?」という質問だったと思うのだけれども、森三中の大島さんが「女であることを忘れないこと」と答えていて、まわりにいた女芸人さんたちが一斉に深く頷いていたのがとても心に残りました。「だから大島さんはお尻を出しても品がありますよね」みたいなことを言っていたのは、確か友近。女であることを忘れないからこそ、大島さんはお尻を出しても笑えるのだ、と。

自分は若い頃、松ちゃんの『遺書』を読んで、そこには「お笑い芸人としては、男のほうが女より絶対的に強いのだ」と書いてあって、松ちゃんの主張としては「男は最終的に裸になっても笑いがとれる。でも女は裸になっても笑えない。だから男と女では持っている能力に差があるのだ」てことだったのだけれども、それを「そうなのか。なるほど。」と素直に思っていました。だからその後、ダウンタウンの深夜番組(ガキのつかい)で、まだ駆け出しだった頃の大島さんが全裸(女体盛りでした)で登場したときはすごくびっくりした。私は大島さんの全裸に全く笑えなくて、いやむしろひいてしまった。なぜ松ちゃんはこれにOKを出したんだろう、これ笑えるの?と、当時、理解ができなかった。

でも今になって考えれば、女である大島さんが女体盛りになって笑えるのは、男目線の笑いですよね、たぶん。女体盛りって、そもそもは、ある一定の男性たちの甘美な妄想の中に存在するイベントで(いや、現実にも繰り広げられているかもしれないけどさ)、本来ならそこには美女がいなくちゃならなくて、それをうっとり期待している男のひとたちのところへ、いきなり非常にのどかなフォルムをした全裸の大島さんが現れたら、そりゃびっくりして笑うしかない、圧倒的に笑うしかなかったんだろうな…と今は思うようになりました。若い女の子だった私が(いや当時から、もう既に女の子って歳じゃなかったけど)笑えなくて当然ですよね。


女だからこそ裸になってとれる笑いがある。あれはそういう意味だったのかな。だからこそ松ちゃんは全裸の大島さんを評価したのだろうし、大島さんとしては、松ちゃん的なものに対する壮絶な戦いを挑んでいる気持ちもあったのかもしれないなと。


男のひとが笑えることと女のひとが笑えることに差があるのはどうしようもないことだろうし、若き日の松ちゃんが「男芸人のほうが女芸人よりも絶対的に強い」と説いたのも、男である松ちゃんの世界の中では、今もなお非常にまっとうな見解なんだと思う。男の芸人さんの多くが「ゆくゆくは天下をとりたい」みたいな気持ちでしのぎを削っている(ように見える)一方で、でも女の芸人さんはそれとはまた別のベクトルで仕事をしているように見えて、それは、生き方のちがいというのもあるだろうけれども、男の笑いと女の笑いがまた別のものであるからなのかもしれないなと思う。

とはいえ、大島さんは、というか一線で活躍している女芸人さんたちは、その両方のはざまで、新たなお笑いの地平を獲得したいと願って戦っているのかもしれないな、と、大島さんの「女であることを忘れないこと」という言葉に考えさせられました。だから私は、たとえ思い出の中のことであったとしても、今からでも、大島さんのあの日の女体盛りを、心の底から面白がりたいなあと、今思う。



で、こういう場での中居君の司会はすごくいいなあと思いました。女のひととの距離感が、プロのアイドルだけあって絶妙だと思う。ニュートラルにニュートラルに泳がせてくれる。