年末年始

年末をゆったり過ごしてしまったせいか、年明け2日から仕事を始めたけど追いつかない。今日までに終らせなければならなかったことをやっとの思いで片付けて宅急便で送って、山登りで言えばまだ五合目くらいだけど、コーヒーを飲んでほっとひと息ついたところ。
と、いいつつも、年末年始もそれなりにテレビを見た。V6の特番も見て面白かった(けど、岡田君の配達業者さんは似合わないと思った。胸板厚い体育会系に見えるのに恐るべき似合わなさ!)し、CDも買ってキーポンも見て面白かったし、平清盛も感慨深く最終回を迎えたけど(森田君も松ケンも素晴らしかった!深田恭子ちゃんの美しさが印象に残った)、全部駆け足な記憶だ。

ヤフートピックスで見て興味が沸いたので、浜ちゃんが息子のラジオ番組に出演したのを仕事しながら聞いた。なんだかほろっとした。ダウンタウンも30周年を迎えていて、浜ちゃんがもう50で、子どもがこんなに大きくて立派な息子で、浜ちゃんだいぶ丸くなったと感じたりして、お父さんとしての可愛らしさがあったりして、ちょっと飛躍した連想だけど、「ああ、いつか浜ちゃんも死んでしまうのだな」だなんて考えてしまったのだ。ほろっていうか、切ないっていうか。時間は止めようがないんだなあって。



日本映画専門チャンネルで映画版の『モテキ』を何度かに分けて見た。ドラマ版、好きだった。映画版は、お話それ自体は、映画としてみたら他愛のないものだったけど、でもドラマと同じ『モテキ』の日常がそのままに画面の中に息づいていて、『モテキ』は結局、もうそれだけでいい、十分なのだなあと思った。私も知ってる馴染み深い「今」が濃密に切り取られているなあって。音楽だったり、ツイッター水道橋博士リツイートされている人に一目置いてしまったり、登場人物が部屋でゴッドタンのマジ歌選手権のDVDを見てたり、そういう感じ。
作家の奥泉光さんは「小説は長ければ長いほどいい」みたいな意味のことを言っていて(私の記憶が正しければ、だけど)、それは別に長い小説を絶賛しているという意味じゃなくて、小説はそこに「世界」が息づいているものだから、その「世界」はどこまでも広く深くあるべきだって意味かなと勝手に思っているんだけど。『モテキ』を見ていてその言葉を思い出した。

この映画で長澤まさみちゃんが絶賛されていたけど、確かに馬鹿馬鹿しいくらい魅力的だった。本当にこのひとは、どんなポーズとってても綺麗で絵になるな。あとパフュームは美人だなあ!美しいっていうのは本当に素敵なことだな。


モテキ』の監督である大根監督を初めて知ったのは、劇団演技者でだ。好きだった『マシーン日記』も『14歳の国』も大根監督の作品だった。大根監督の作品ということで『30minutes』を見始め、そのときにバナナマンを初めて知った。