最近の純と愛

純と愛』はこのところ更に息苦しい展開で、もう見るのをやめようか真剣に悩むようになってきてしまいました。今更のように気がつきましたが、この主人公は、今までのいわゆる朝ドラのヒロインへのアンチテーゼ?なんですね。「元気で正義感が強く世話好きでちょっとドジ」という伝統のスタイルを踏襲しながら、それがいかにしんどいことなのかという側面に真っ正面からスポットをあてて描いたドラマってことなんですよね、おそらく?
で、そのしんどさは、見ているとそのまま自分に還ってきてしまう。主人公純や、それから特に純の両親のかたくなさを見ていると、自分という人間もまた、このひとたちのようなかたくなさから逃げられないのだなと、絶望にも似た気持ちで落ち込んでしまう。
自分の価値観が正しいと思ってしまうことから逃れられないこと。「ああ、わたしは間違っていたんだ」と一瞬は悟ったように思っていても、結局また同じことを繰り返してしまうこと。ひとの意見に真剣に耳を傾け、本当の意味で交流することを恐れてしまうこと。

だけど、先週の天の岩戸をなぞらえた佐藤二朗さんをまつわるエピソードには、いかに間違っていようとも、周囲やましてや自分自身にも不快感をふりまこうとも、扉をノックし続けることをやめてしまったら、世界はそこで終ってしまうのだと気づかされ、深く考えさせられました。扉をノックし続けなければならない。でもそれはしんどいことだ。
見続けるのがしんどい。そしてその先に得た感動も、その重さがしんどい。来週からは、もうすこし楽しい気持ちで見られるようになるのかしら。そうじゃなかったらもうそろそろ限界かも。

余貴美子さんの、あのホテルの客室のある廊下が暗すぎるのも、気が重くなってしまうことの一因だ。平清盛より、こっちの暗さのほうが問題だよ…




寝る前にちょっと、と思ってテレビをつけたら、柏木由紀ちゃんの『柏木ミエリーノ』というドラマがはじまるところでした。キングオブコメディの今野さんと佐野史郎さんも出ていて、今野さん好きなのでさいごまで見てしまった。小洒落ていて、おしつけがましいオチがなくて、週末の深夜に見るのにちょうどよい感じのゆるさだった。今野さんの、ギャグ漫画に出てきそうな顔なのにオトコマエな感じ、いい。好き。柏木由紀ちゃん、AKBにいるときより、このドラマみたいな、普通な空気感の中にいるほうが断然可愛く見えると思った!声も耳に心地いいの。
ただ、ドラマ内ではそれぞれが「佐野さん」「今ちゃん」「柏木」と呼び合っていて軽く現実とリンクしている感をかもしだしているのですが、途中で秋元康さんが出て来て柏木さんに恋愛について語るところで完全に冷めてしまった。秋元康は出ないほうがいいでしょう〜。ましてや恋愛について語らないで〜。…第1回目だけの特別ゲストなの?