『ソロモンの偽証』宮部みゆき

今学校やそのまわりでおこっていること、問題とされているようなことを、真正面からとらえひとつの答えにたどり着くまでの過程を描いた作品でした。これだけいりくんだ重たい問題を、こんなに真正面から解体し構築しようと思ったら、この長さはしょうがない(2000ページ超の大作です)。宮部さんはこの作品を、おそらく祈りにも似たような静かで熱い思いで描いたのだろうなと、読み終えて、なんというか…おごそか?な気持になった。


生徒たちにはレベルというものがある(単純に学力という意味ではなく)。レベルが高いことは優れていることだけど、だけどレベルが高いからといって人間として大人で成熟しているわけでも、低いからといって子どもで、他とくらべて未熟なわけでもない。ひとつだけ確かなのは、誰もが等しく子どもなのだということ。大人びた子もいれば、達観している子もいる。苦労を強いられ諦めを身につけて生きてきた子どももいれば、生まれつき思慮深く色々なことが見えすぎてしまう子もいるし、ひとより早く精神的に成熟してしまう子もいる。でもそれでも、どんな子もやはり子どもなのだ。時間はひとしく彼らの身体の中を流れていて、つまり、どの子もみな成長過程の不安定な身体を抱えた子どもなのだ。読んでいてそのことが、切実に身にしみて感じられました。

このお話のような、多くのひとにとっての希望的な結論というのは、現実ではなかなかたどりつけなものだと思うし、この本を読んだところで、これから大人になっていく子ども達のために何をできるのか、どうするのが正解なのかと考えても答えは全くでないのだけれども。ただ「希望をもって生きていきたい」、読んだひとにそう思わせてくれるお話だと思う。


さまざまなタイプの生徒が出てきて、わりに細かくそれぞれのキャラクターが説明されるので、自分だったら学校の中でどんな立ち位置だったかななんて考えながら読んだりもしました。主人公…ではないかもしれないけど、話の中のいくつかのパートは野田君という男の子の目線ですすみますが、この野田君は、多くの読書をするような人にとって感情移入しやすキャラクターなんじゃないかなあ。こういう人物を狂言まわし的な役割でもってくるというのは絶妙な采配だなというか、ベストセラーをいくつも産み出すひとというのはこういうレイアウトがきっと上手なんだろうなあと思った。