そして父になる

そして父になる

見たいと思っていたのですが、やっと見られました。

私は自分に子どもがいないからかもしれないけど、途中まで「6年間も大切に育ててきた子を手放すだなんてあり得ないだろう」と釈然としない気持ちを抱えながら見ていた面もあるのだけれども。しかし、いや、そんな簡単なことじゃない。家族であることって、血が繋がっててもそうじゃなくても、当たり前なことじゃない。そこに簡単に割り切れる問題なんてないんだよな、と見進めるにしたがって思った。この世に本当に正しいことなんてないし、誰しも不安を抱えているんだろう…って、見終わったあとにつらつら考えてたら、なんだかとても…なんていうのかな。重さや形状が妙にしっくりくる、お守りを胸にしのばせたみたいな気持ちになった。


見る前に漠然と思い描いていた映画と違いました。家族の映画なんだとなんとなく思ってたのだけれど、家族というよりはとても個人的な、中年の男のひとのとても個人的な映画だと思った。福山雅治演じるこの主人公の境遇に、私自身は年齢が近いであろうこと以外はなにひとつとしてかぶるところがないけれども、このひとが抱えている、生きづらさのようなもの、どうしたらいいのかわからなさ、それに対処しようとするスタンス、この感覚は馴染みがある。



是枝監督の映画の中の家(インテリア)のようすって、いつもとても考えさせられる。福山雅治尾野真千子の家はいかにも現代風なセンスの良さとそっけなさを抱えていて、冷たそうにも、大切なものがなにか足りないようにも見えるんだけど、とはいえ生活感やぬくもりを感じないわけじゃない。



ゴーイングマイホーム』の阿部寛山口智子の住む家も、ちょっと共通したところのあるインテリアだったと思う。壁が白くて妙に白々と明るくて、いまどきの家っぽい。昔の家がもっと影の部分がたくさんあって暗かったのに比べて、なんだか平板な感じがする。けれども、娘の萌江ちゃんの部屋のクローゼットにはまるで祭壇のようなクーナの部屋が出来ていたし、阿部寛の部屋のソファの下にもクーナの住処があって、明るく見える家の中にもそこかしこに闇がちゃんと隠れてた。考えてみれば、それって、あのドラマそのものだなって思う。とても「いま」という空気を切り取った、家族たちのお話、が、家そのものとして具象化されてたんだなあって。常に雑然と散らかっているようなあの家は、そこに住む家族そのものだったし、散らかってた食卓が最終回にいくにしたがってちょっとずつ整理されたり、食事をとる場所が変わっていったりした描写は、ドラマそのものを表してたし、あの家族の距離感そのものだったんだなあと思う。「この家族はこういう家に住みそうだよね」ってことで作られたインテリアじゃなくて、インテリアが家族そのもの、お話そのものをを表現しているんだ…インテリア、イコール、ドラマなんだな…なんてことを『そして父になる』を見ていてなんだかしみじみ考えました。でもそれって、どんなドラマや映画においても当たり前のことなのかもしれないけど。
そして父になる』の、綺麗であんまり物音がしないような家は、どうしようもない自分をなんとか整理しながら暮らしているつもりになっているであろう主人公の、不器用な内面そのものなんだろう。




岡田君、たくさんテレビに出ているみたい。どれも見られてないんだけど…。でも、映画は見に行くつもりです。