確定申告が終わったと同時に風邪をひいてしまって、やりたいことがたくさんあるのにうまく動けなくて悔しいし焦ってしまう。
…なんだけど、「確定申告が終わるまでは」と据え置いてた書類だけは、重い腰をあげてひとつふたつと書き始めました。問い合わせなくちゃならないところに電話もかけて、牛歩のペースだけど、前にすすめられていることが嬉しい。ふたつすすむとひとつ忘れちゃう鳥頭なので、いろいろなことものすごく不安なのだけれども。



人が死ぬことは、特にある程度の年月を生き抜いたひとが死ぬことは、悲しいことなんかじゃないと思う。悲しいというのは「誰かの死」を受けとる側の個人的な感想や感情で、死ぬことそれ自体は必ずしも『悲しい出来事』ではないと思う。どんな死だって、そのひとの生と同じく、そこにその人が表れている、尊重されるべきことだと思う。それに、悲しいというその気持ちだって、ひとそれぞれ違うもので、誰かと共有することなんて結局のところはできないものなのに、なのに、「悲しい」を一般的なものとして押し付けてくるひとがいて、それをつい、私は面倒臭いと感じてしまう。

でも、「悲しい」を押し付ける(…押し付けられていると私が感じてしまう)のは、話したい、私に聞いて欲しい、私と寂しさを共有したいって感情で、たぶん、それってとても弱くて愛おしいものなんだよなあ。……だけど、よく知らないひとのその寂しさ、私がひきうけなくちゃいけないものなのかなって、頭がぐるぐるする。

という話を友達に聞いてもらってたんだけど、こういう話を誰かに聞いてもらっている時点で、寂しさや悲しさを押し付けてくる人と同じことだよなと、ふと気づいて、ああ、つまり世の中は、持ちつもたれつなんだなあと、今更のように気がつきました。
「悲しい」を押し付けてくるよく知らないひとにも、やさしくできたらいいなと思いました。あんまり自信ないのだけれども。