ワトスン つづき

子供の頃から何度も周期的に読み返している小説って、シャーロック・ホームズだけなんですが、いや、別に、すごく夢中になって読んでいるとか、好きで好きでやめられないとか、そういうことじゃなく……小学生の頃読んでいた子供向けに書かれたホームズが好きで(偕成社から出ていたシリーズ)、その後もうすこし成長してから新潮文庫延原謙が訳した原作を読み、以来それを何度となく読み返しているのは、読むと安心するからって理由が一番大きいかも。読み慣れた本、見慣れた字面を眺めていると、落ち着く。


ホームズもののお話はコナン・ドイルがまだ20代の頃にはじまり40年もの長きにわたって執筆されたものですが、その間ずっとホームズとワトスンの関係は変わらない。40年間変わらないものって現実にはほとんど無い。いや、正確には、ワトスンの結婚で二人の間が疎遠になったり、「ワトスン、ちょっとホームズが疎ましくなっちゃったのか」という時期があったり、よくよく読めばホームズとワトスンの間にもいろいろな波風がたっていますが、でも物語の表面上はとても淡々とした関係が続くわけで、それもたぶん、読んでいて安心するひとつの理由かもしれない。ここに戻ればいつでもおなじみの世界が待っているという安心感。お話によって多少面白さに差はあるけど、でもホームズものって、どのお話から入ってもそれほど印象が変わらない。


加えて、若干の残虐風味があり、さまざまな因習に捕らわれた紳士やレディたちが登場し、霧につつまれガス燈が灯る陰鬱なロンドンが描写される、その雰囲気が、わたしは好きなんだと思う。


何度となく読み返しているけど、でも実際のところは読むってほどじゃなく字面を追っているって程度に近く、だから内容がたいして頭に入っていないことも多く、読むたびに「あれ、こんなこと書いてあったんだっけ?」と思ったりするわけですが、中でも読むたびにびっくりするのが、ワトスンという人間がとても孤独なひとであること。彼はロンドン大学で医学を修めたわりには戦争から戻ってきたとき「ロンドンには友人も親戚もひとりもいないし天涯孤独」と言っていたり、両親は早くに亡くなったらしく唯一の家族だった兄は飲んだくれの無精者で、その兄もまた早世しているんですよね。そしてそれについて親友のホームズにすら話さない。ホームズがワトスンの時計を見て兄のことを推理したとき、彼は珍しくホームズに対して怒りをあらわにする……ワトスンは、意外にも心に深い傷と闇を抱えているんだなあと思う。


原作以外のフィクションはほとんど読んだことないし、映像作品をいろいろチェックしているわけではないのですが、ワトスンの闇を正面から描いたものってあまり無いように思う。グラナダ版でもとても魅力的に演じられていたけれども、ワトスンのパーソナルな部分については踏み込まれることはなく、あくまでもバランスのとれた英国紳士然としていた。だけど現在進行形のドラマ『シャーロック』は、そこにスポットをあてていて、その表現が素晴しいなあと思う。
ワトスンは家族のことでしこりを胸に抱えて生きてきた人であり、元軍人であり、傷を負って戦争から帰還しでも平穏な生活に慣れることができない人であり、そしてまた、シャーロックに「むごたらしい死体は見慣れているだろう。もっと見る?」と誘われそのまま同行するような人間なのだ。だからこそひどく変わった人間であるシャーロックを素直に受け入れ、惹かれたんだなあと、納得させられてしまう。すごい!と思う。