学校へ行こう と アンアンの連載

一昨日の学校へ行こうジブリ美術館の前で「とっとろーとっとろー」と歌いながらユラユラ揺れている岡田君は、ちょっと変な子(三宅君曰く)風味で素敵でした。
長野博君がそれをやっていたとしたら「ああ、笑わせようとしてやっているんだなあ」と思うだろうに、岡田君がやっていると、なかば「好きでやってるんだろうなあ」という気持ちにさせられるところが素敵です。
そのあと「生アレン聞きたいなあ」と長野君にふられて、空を眺めながら「生アレン?」と、軽く自慢気に見えるところも好きです。
盲目のピアニスト木下君は、まだうんと若いのにとても大人な男の子でした。困難をも柔らかく包み込む、上質のユーモアを持っている人だと思いました。
最近は年齢について考えるという木下君、「これから色々なところが成長してくるし・・・」
「どんどん男になっていくしね」と岡田君。
「元気になってくるしね」と長野君。・・・元気って・・・!?



先週のアンアンの岡田さんの連載は、仲間についての話でした。
「ずっとV6頑張ろうぜ!」と、簡単には口に出さない、というか出せないと思っている理由が書いてありました。
物事には限りがあり終わりがある。
だから頑張れる。
先のことは解らないから楽しい。
だからこそ、簡単には「10年後も20年後も頑張ろう」とは言わない という岡田君の考え方は痛いほどよくわかります。(たぶん)
わかるけど。
頑固だなあと苦笑するような気持ちになる。と同時に、その不器用でいびつな正直さに心を打たれてしまったりもします。

考えてみればカミセンて三人とも、なにかいびつな正直さをかかえたまま長年芸能人をやっている印象があります。
それぞれ表出の仕方は違えど。
同じアイドルでも、というかジャニーズでも、ほかのグループは、もっと歳若くてもそれぞれ世慣れているというか、ある種の営業トークを使いこなすだけのタフさをもっている感じが見てとれるんだけど(でもそれは、私があまり他のグループのことを知らないからかなあ・・・)、カミセンてなんていうか、ある意味いつまでたっても垢抜けなくて、キラキラしているのに今にも埋もれてしまいそうで、いびつな純粋さをいつまでも抱えこんだまま大人になってしまったひとたちみたいに見える。よくもわるくも。
それはやっぱり、年嵩で、常にカミセンを守る立場にあったトニセンの存在がとても大きかったんだろうなと思い・・・いや、よくわからないんだけど・・・
とにかくカミセンを見ていると、なにかとても珍しくて綺麗な鉱物でも眺めるような気持ちになったりならなかったり(いや、なるのですが)。

いずれにせよ、こうして岡田君の正直な気持ちを読むことができる場所があるということは、ファンとしてとても幸せなことです。
そして岡田君にとっても、きっと幸せなことなんじゃないかなあと思ったりします。
特に岡田君のように、頭で考えてひとつひとつ納得せずには前に進めないようなタイプのひとにとって、文章を書くことは自分自身の状態を知るのにとても有効な手段だと思うから、そんな意味でも。