リリイ・シュシュのすべて と 先週の『学校へ行こう』

岩井俊二は全然好きじゃないんだけど」と前置きをされながら友達に「リリイ・シュシュのすべて」を見るといいと勧められ、見てみました。観賞後、この感じをなんとかメモしておきたいと思ったんだけど。難しい・・・。
翼をください」の合唱のところで、自分の中学高校時代が、ガーッと洪水のように浮かんできた。むき出しの悪意とか、鬱屈した欲望だとか、日々のどうしようもなさとか。現実はこんなにも最低なのに、景色や歌声は、どうしてこんなにも美しいんだろう。あの感じ。くらくらする。
「音楽の存在」について、とても真面目に語った映画でした。
音楽って、この世でもっとも完璧な「世界」を作る芸術だと思う。見ることができないから、脳内で自分で映像を補完して、完璧に近い(より理想に近い)世界を作り上げてしまう。特にウォークマンでひとりきりで音楽を聴くのって(この時代、まだCDウォークマンだったんですね)、その傾向が強まって、中毒する。その閉じられている感じが、映画の中で、とても切実だった。
市原隼人君が小さくて白くて(劇中の稲森いずみの言葉どおり)、繊細で無力で、だいぶ前の映画とはいえ、うわあ、こんな子だったんだなあとびっくりしました。彼の演技はほとんど見たことがなかったから、ルックスだけの印象から言えば、もっと野太い感じを受けていた、今の市原君からは。


最近は、あまり学校へ行こうを真面目に見ていなかったのですが(だって岡田君が出ないから。私はV6のファンでもあるけれど、その前に岡田君のファンだから、あんまりにも出てくれないと、やっぱり見るテンションが下がるんだなあとしみじみ思った)、ここのところは男子学生の女装をオシているみたいで、昔の学校へ行こうへ戻ったみたいだなあ・・・と思う。かつての、友達親子とかやっていた頃のね(しかし友達親子の企画は、ほんと、酷かったな)。
なんなのかな。どういう思考の末にこういう路線に落ち着くのか、「何故なんだろう?」と考えると、ホント、不思議な感じがする。どういう人がこれを見たいと感じると制作側は判断しているのか、聞いてみたい気がする。アンチエイジングとか女装(女装っていうか・・・ニューハーフ?)とか、世間でそれなりに興味をもたれていそうなものに強引に『学校』に絡ませると、ああいうことにならざるをえないのかな。
ただ、先週の「愛してるゲーム」、あれは私は随分と楽しみながら見たのですが、ファンの間では不評だったみたいですね・・・・色々とブログをまわって感想を読んだところによると。
坂本君が、いかにもミュージカルスターな気障な表情を作りながら「愛してる」って言うのが面白かった。でも彼は、言われるほうにはもっぱら弱いらしくて、そんなところが坂本君らしくて笑えました。
岡田君にはもっとふっきってやってほしかったんだけど(東京タワーのときのように)、そう出来ないのが岡田君らしいところで、坂本君と三宅君に「なんのためのドラマ出演だよ!」とあれこれ言われている姿が楽しかった。こういう岡田君を、ずっと見たかったんだよなあと思う。しかし「先輩」って、好きだよなあ、岡田君。言われてそんなに嬉しい言葉なんだねえ・・・・(あんまり理解できない)。
まあ、ただ・・・放送時間が随分長いなとは感じました。これだけの企画で、こんなに時間をとる?と。あと、グラビアアイドルたちはプロだから、それなりに魅せてくれるし、ある種の型が出来上っているから見ているほうも安心できるのだけれども、半分素人の女子アナにあれをさせて面白いのかな?というのは、かなり心配なところ。