『わたしを離さないで』

カズオイシグロ『わたしを離さないで』



記憶について延々と書かれたお話だと思うのだけれども…
あらゆる角度から、ただしとても個人的に、ひとが生きていくこと、幸せとは、ひとがひとたらしめているものは と、幾層にも幾層にも問いが積み重ねられていき、読んでも読んでも答えが出ない。



以前、さのもとはるのソングライターズのゲストで出てきた矢野顕子
「人間には二種類いる。
本当のことが知りたい人間と
本当のことなんて
別に知らなくていい人間だ。」
と話していました。(細かい言い回しはうろ覚えですが)
断固として言いきっていて、その言いきりぶりにびっくりさせられたのだけれども。



この小説の主要な登場人物は3人で、そのなかのひとりトミーは主人公のキャシーにむかって、もうひとり(3人目)の人物ルースのことを、「君や俺は知りたがりな人間だ。でもルースはちがう。彼女は信じたがりなのだ」という。
矢野顕子が言うところの「本当のことを知りたいひと」と「知らなくてもいいひと」って、こういうことなのかなと思う。
種類の違う人間が深い絆で結ばれあい、惹かれ合い、あるいは憎み合い、そしてお互いを無二の存在として必要としあい、支え合いながら生きている、それを描いた不思議なものがたりであるとも思う。
それほど濃密に、彼らは記憶を共有しており、それはもしかしたら、自分でありながら、同時に他者である、というか、そもそも自分なんてものは皮1枚で外界から区別されているだけのあやふやなものなのかもしれず、ルースやトミーは、キャシーの別の姿であるのかもしれない。あるのは記憶だけなのかも。



先に書いたように、本を読みながら、生きること、幸せを追求すること、自分自身について知ることは何かについて常に考えさせられる。
考えさせるためのいろいろなアプローチが小説の中に仕掛けられていて、でもどの角度からも答えは出ない。



ただ、主人公は「しあわせの記憶を持っている」ということに深い充実を覚えており、それが彼女を彼女たらしめていると感じている。彼女自身それが「すべてのこたえ」と感じているわけではないのだけれども。



いくつかのとても印象的な場面が、悲しくてきれいだと感じる小説でした。
おもしろかった。というよりも、ずっと読んでいたかった。