コクリコ坂から

よかった。ものすごく恥ずかしかったけど。
あんまりにも初々しくて、とくにさいしょのほうとか、まっすぐ座っていられなくなるほど見てて恥ずかしくなったんだけど、すごくよかった。ああ、こういう映画見たかったって思った。


あんまりにも優等生すぎたり、お話がきくしゃくしている箇所があったり、気になる点がないわけじゃないけど。でも、素直でまっすぐで、気持ちのいい映画でした。やさしい気持ちになる。
すこし昔の時代、そしてアニメーションだからこそ、こういうまっすぐな話が、作れるんだと思った。


1963年。この時代は、想像していた以上に戦争の影がまだ濃かった時代なんだな。見始めて、さいしょ戸惑いました。そのころの続き の 今であるはずなのに、思った以上に知らない時代であったことに、なんていうか・・・断絶を感じた自分に、びっくりした。これは恥ずかしいことだなあ。


以下、覚え書き(ネタばれ含)






空が綺麗だった。それが本当に気持ちよかった。暮れかけの、ほんのりピンク色に染まった雲と青空の対比とか、暗くなる前に灯りはじめる電灯の色とか、雨の日のぼんやりした色とか。朝焼けの明るい空の色とか。


学校と家と、生活と恋愛とそのほかの問題と、家族の話とが並列に描かれていて、その積み重ね方が気持ちよかった。ああ、これは、人生の中の1ページなんだなって感じがした。


好きだった場面は、いろいろあるけど、
自転車で坂をくだる場面。
講堂でみんなが議論している場面。
海と俊が一度ぎくしゃくしたあと、海が「なにか手伝えることはないか?」ともう一度新聞部の部室に行ったところ。俊がちょっと動揺して、手で顔を軽くかくしながらガリを切り始める。そのとき、手のかげで、顔がすこしほころんだように見えたとこ。
家事をする海の場面。「コップたりなくなっちゃった」と台所に入り、醤油と小皿をお重の上に載せながらお寿司を運んだり。


ひろさんが描く油絵が、説得力のある絵だった。さすがジブリなり。


どの場面でも小粋すぎる水沼の行動。


パンフレットの、長澤さんと岡田君のインタビューを読んだら、まわりとの調和から役を作っていったと語る長澤さんに比べて、岡田君の言葉は、どっちかというと『自分自分』でちょっと面白かった。映画の中のふたりの関係性をも、なんとなく彷彿とさせられた。案外ナイスなキャスティングなのかも、と思う。


海が、お母さんに出生の秘密を聞くくだり、「俊がお父さんの本当のこどもだったとしたら?」と質問する場面はなんかちょっと、浮いているように感じた。もしかしたら本当に兄妹なのかもしれないと含みをもたせる展開なんだとは思うのだけれども、そのあたりのお話の組み立てが雑に感じたので、違和感があった。


舞台が横浜なので、場所がどこなのか、すごく気になってしまった。特に学校がどこにある設定なのか、ちょっとピンとこなくて、気になった。海の家との関連性や学校からの景色からすると、やっぱり山手の丘の上のほうにあるんだろうなと思うんだけど、そうすると海の通学路が(港に向かって坂をおりて学校へ向かう)、なぜそのルートを通るのか疑問。なぜ、買い物に行く海と、学校帰りの俊がすれ違うのかも疑問。(俊の家は本町だと言ってた)
氷川丸のそばを歩いたあと、家へ帰る海が市電に乗るのも不思議。・・・いや、でも、そもそもコクリコ坂というのが架空の坂なわけだから、舞台となっている横浜自体も、架空の横浜なのだろうから、考えてもしようがないことなのだろうけれども。
そんな検証もしつつ、もう一度見たい映画です。