早海さんと呼ばれる日

早海さんと呼ばれる日

「末っ子長男〜」と、局が違うけど、同じような構造のお話だなあ。と思いつつも、ああ、今日的だなあとある種の感慨を持って見ました。仕事と妻と、どちらをも選ぶことができなかったはるちゃんに比べて、松下奈緒がはりねずみのような夫婦になりたいと願って、それを人生の目標として生きてきた女の子だということ、結婚と同時に仕事を辞めて家庭に入ること、男4人のむさくるしい家に積極的にかかわっていこうという決意を固めていること。で、その一方で、大家族を支えてきた早海家の主婦古手川祐子が家を出てしまうこと。
家族とか絆とか、ああ、それが大事だよねって、でも一方で、家庭の中ではそれがいびつな形で成り立っている面があることを否定せず(たとえば、多くの場合、父親の存在感がなかったり…)簡単なことじゃないのだということもしっかり差し込み、これからの家族は何を目指していったらいいのかを問いかけようとしているのかな?といったような、そんな意味ではとても『今』を映したドラマなんだろうなあと思いました。

いのっちの弟三人が、初回の描写では何もやらなさすぎだろう〜とか、いい大人が揃った家に、わざわざ新婚のいのっちが手伝いに行かなくても〜とか、いくつかの点で「ええ〜?」と思ったけど、でも最後まで見れば、それもまあまあ不自然じゃないというか、ああ必要性があってそういう設定になっているのだなとわかるようなお話だったので(まあ、無理はあるけど)、ストレスを抱えることなく見ることができました。


いのっちは、よかった。無理のない役柄という感じがしました。いい人で、長男の責任感で家族を支えていて、優しくて感じがいい。でもその感じのよさが、ある面から見たらひとりよがりだったり、目先のやさしさを優先してしまっていたりするところが自然に描写されていて、それが無理なくいのっちのパーソナリティーと重なる感じがしました。


単純な松下奈緒ちゃんの主婦奮闘記になってしまったら辛そうなんだけど…でも、お母さんが家出してしまっているのだから、そこまで単純な話にはならないんじゃないかなとも思うのだけれども…。期待していきたいと思います。




と期待しながら見た第二回。試聴していて前回よりストレスがたまりました…


早海家の男性、ひどい…お母さんを家事をしてくれるひととしてしか扱っていなかったのでは?お母さんがいなくなったことに対して、今のところ、お父さんはともかく、兄弟たちは「不便だ」ということ以外感想を持っていないみたいに見えるし。
だいたいからして松下さんも、家事出来なさ過ぎでしょう。これだけできなくて、なぜ男5人の世話をしたいと思うのか?このこが10代の設定なら、それもありかなあと受け付けられると思うのだけれども。

…ただ最後まで見れば、いろいろ納得しようと思えばできないわけでもなかったのでした。こういうもアリなのかなあとは思うのだけれども、でも、そこにたどり着くまでにだいぶストレスがたまってしまいました。
訪ねてくる早々喧嘩腰な親も、家の貧富に格差があるということに異常に怒りすぎなのも、なんていうか、ドラマ自体にこらえ性がないと感じてしまったなあ…