昔語り・自分語り おわり

ここ何年かの、自分が見ていなかった時期のV6の出演番組の動画などチェックしはじめてしまいました。見たいと思って探せば本当に色々なものが見られるんですね。このままいくと動画を見続けて廃人になるかもわたし、と心配になってきています。


おとなりの宣伝で岡田君が出演した5LDKも見ました。江頭さんの物まねをする岡田君、素晴らしい!長瀬君が「こういう岡田をもっと出していったほうがいい」と言ってたけど、わたしもその言葉に賛成だー。方向性は違うかもしれないけど、このまえの、嵐の番組でマネキンやってたときも面白かった。もっともっとこういう岡田君、見たい。別にバラエティにもっと出てほしいわけじゃないけど…いや出てくれたら嬉しいけど(その場合はできれば6人がいいんだけど)…アイドルとして、1タレントとして、そして俳優さんとして、負け戦を積極的に受け入れている岡田君ていうのを、わたしはもっと見たいのかもしれないなと思いました。



「負け戦」って表現の仕方は、前にバナナマンの設楽さんが使っているのを聞いて印象に残ったもので、お笑い芸人さんが自ら周囲にいじられることを許し、「笑われる」ことを受け入れる状態をあらわしているのかなと思って聴きました。設楽さんは「負け戦ができるひとほど強い」と言ってましたが(そして、相方の日村さんほど負け戦が強い芸人さんはなかなかいない、と)、わたしの気持ちとして付け加えるのなら、「負け戦ができるひとほど強くて、そしてかっこいい」だ。

負け戦って、すごく難しいことだろうと思う。ある種のプライドはほとんど捨てなくちゃいけないように思うし、でもだからこそ逆に、本当の意味でプライドを高くもてる人じゃないと、芸事としてそれをやり続けることはできないんじゃないかな、とも思う。


ナルシシズムに反することをやり続けるのはとってもとっても辛いことだ。人によっては精神的に崩壊してしまうことだってあるだろう。自分を出していくことが表現であるとは思うけど、それがそのひとのナルシシズムをまったく満たさないものだったとしたら、そんなの見せられるほうだって辛いだろうし、美しくないと思う。そんなこと必要なことなのかなって考えたら…必要じゃないのかもしれないって思うんだけど…でも岡田君は、意にそぐわない形で追い込まれて転がされることで、そこになにがしかの真理を体現してしまいがちな希有な才能の持ち主だと思うから(というか、そこになにがしかの真理を、私が勝手に妄想して見てしまっているだけかもしれないけど…)、そういう岡田君をもっとたくさん見たいって思ってしまうのかも、きっと。

だけど、俳優さんの仕事こそ、もしかしたら究極の負け戦なのかな、と思う。「IZO」を見て、特に、そう思ったのだけれども。


そしてもっと考えればわたしは、自分自身が、負け戦に強くなりたいのかも。だからこそそれを、岡田君を通して見たいってだけの話なんじゃないかなって気もする。だんだん何を書いているのかよくわからなくなってきてしまいました。