好きな絵

好きなイラストレ−ターがいて、自分より年齢はひとつかふたつ下の、イラストレーターの登竜門的な雑誌のコンペで賞をとってその雑誌に載ったのを初めて見たときから、なんていうか、そのひとの絵にひと目惚れに近かった。雑誌のそのページを切り抜いて壁にずっと貼ってました。
時をおかずして、本の装幀や挿絵などでそのひとの絵を見るようになり、よいお仕事をしておられるなあと、なかでもその頃に出版されたある哲学についての本の絵のお仕事はすごく素晴らしくて。何も描かないことで何かを、心の中の弱い部分、あるのかないのかわからないくらい微妙な、でも(自分にとっては)大切なことを描くことができる人だと思った。

だけどいつの頃からか、ああこのひとの絵、タッチが変わったなと思うようになりました。描いているその世界や肌触りは変わらないのだけれども、見るひとの心をがさがさとさせたいびつさが無くなってしまったように感じました。プロのイラストレーターとしてタッチが出来上がってきたということなのかもしれないけれども、無駄な線が無くなったのを感じ、絵の構成が親切になったと感じたし、描きこみが以前より多くなったことで誰にとっても見やすくなったようにも感じ、完成度が上がったように感じ、いいことばかりのような気がするのに、でも決定的に何かが違ってしまったと感じました。
その頃から急激に仕事量が増え、書店に行くと本当に頻繁にその方の作品を見るようになりました。私自身は、その絵には違和感を感じ、好きな気持ちが転じて「ちょっと好きじゃないかも」とまで感じるようになり、なんとなく、視界のなかに入れないようにしようとまで思うようになりました。



昨日、久しぶりに書店でその方の装幀の本を見かけ手にとってみました。しばらくぶりに見るそのお仕事は、「すごく好き」と思ったあの頃わたしが思い描いていたものとは違う場所へたどりついている絵だなと思ったけれども、でもやっぱり、このひとの絵は好きだと思った。そしてものすごく久しぶりにそのひとのホームページをのぞいてみたら、たまたま最近描いたラフスケッチというか、素描が公開されていて、ものすごくものすごく久しぶりに「ああ、この絵、いいな」と思った。好きな肌触り、好きな感情、好きな暗さ。


だけどやっぱり、この十数年の歳月のあいだにそのひとがそぎ落としていったもの、失っていったもののなかに、当時のわたしが惹かれた、求めていたなにかやわらかいものがあって、それはもう戻ってこないんだなと思った。変わらずにやっぱり好きだけど、心をがさがさとひっかいた何かは、もう無いんだな。
でも一方で、もしかしたら、さいしょから、私が過剰な幻をそのひとの絵に投影して見てしまっていただけなのかもしれないな、さいしょから何かが違ったのかもしれないな、とも思う。