選ばれる

どんな作品だって見る人を選ぶものだと思う。「つまらない」って簡単に切り捨てられてしまう作品だって、それはつまらないと思う自分が、その作品に選ばれていないのだ、と思う。


結局、『純と愛』というドラマに、自分は選ばれていないのだなあと思う。つまらないとは思っていないのだけれども。『純と愛』が面白いなあと思うのは、ひどく現実的なドラマだなと思う点です。純が一生懸命考えてよかれと思ってやったことが、あまりよい結果に繋がらない。周囲の理解も得られない。事態はどんどん悪くなる。ドラマって、どんな逆境に追い込まれても、見ている人がその状態に(多少なりとも)酔うことができるよう、なにかしらの逃げ道が用意されていることが多いと思うのだけれども、『純と愛』にはそんな逃げ道がない。ただただよくない事態があって、対処してもうまくいかない。そのことで周囲から責められ、事態は悪化し最後は破綻する。どこにも酔えない。それって単なる、どこにでも転がってる、ただの“現実”なんじゃないだろうか。まわりのひとに「わかって」って主張してもしようがない。自分の考え方を変えなければ、袋小路に入るだけだ。
…といった意味で、ひどく現実的なドラマだと思い、面白い構造だなあと思わないわけではないのだけれども。


ただ、それなのに、見ていて1ミリも気持ちが動かないのは、結局最終的に、この純という女の子をちっとも好きになれないことが大きいのだなあ。今日の放送でも、兄弟に責められ、いつもの純なら負けじと怒鳴り返していたところを、ぐっとこらえて「今はみんなで協力しあおう」と言って空気が和らいだ場面でも、「なるほどなあ」とは思っても、見ていて気持ちが動かないのだなあ。挙げ句の果てに、愛のことは好きなので、純と愛がよりそっていると「あんまり純に近寄らないで〜」と思ってしまう…夫婦なのに。ただあんまりにも愛が純を信頼し続ける姿を見ることにも、最近は疲れてきた。つまり、ドラマに選ばれていないってことなんじゃないのかな。


ただ、最終的にどうやって話の決着をつけるのかには多少の興味があるので、見続けるつもりではあります。(だけど、見続けるってことは……選ばれているってこと?)