個人的なこと そして 永遠の0

作年末、12月30日は岡田君の話…etcを酒の肴にしつつの忘年会でした。楽しかった!そのとき是枝監督の話題がちょっと出て、「『そして父になる』は好き?」と聞かれました。好きかと聞かれたら、うーん、好きってわけではないかも…とすこし考えこんでしまったのですが。

その一週間くらい前に、主に文学の本を作っているひとと話していて、彼は「本がいちばん、自分の人生の問題によりそってくれる。本とはそういう性質をもったものだと思う」と言っていて、そのとき私は、そうなのかな?いや、うん、そうだねえ、そうなのかもしれないな、と曖昧な気持ちで聞いていたのだけれども。
もちろんそれは、たぶんひとそれぞれで、彼の場合、本が好きで本を作りたくて生業にまでしているのだから、本が「いちばん」よりそってくれるのが当然の真実なのでしょうし、そしてわたしは、「そうとは限らない」と思っていて、だけどそれは、そのちょっと前に見た『そして父になる』のことがとても心に残っていたせいもあるなあと、思ったのでした。

今まで観た是枝監督の作品には、たぶん多かれ少なかれ「自分の人生の問題によりそってくれる」のに似た感覚を感じていて、それはきっと是枝監督が、監督本人の、とても個人的な話を映画としてみせてくれているから、だからそう感じるんだろうなと思う。「ぼんやりした作品だな」って映画も、「ああ、好きだな、何度も観たいな」って映画も、映画として綺麗に形になっていてもいなくても、どの映画にも個人的な胸のうちを語ろうとしている足あとがあって、その誠実さが是枝監督の素敵なところだと思っているけれども、『そして父になる』は特に「ああ、個人的な話なんだな」って強く思わされて、それが私の中のなにかに強くぎざぎざとひっかかった気がする。好きというのとは、また別に。

だけど。そもそも、誰のどんな作品だって、結局のところはとても個人的なものが基になってはいるんですよね。私がその作品にひっかかりを感じなくても。ただ、心の奥を作品として見せて人に受け入れられるということには、体力も高い技術も必要だなあと、しみじみ思う。



永遠の0の感想をもうちょっと(たぶんネタばれです)↓






とても絶賛されていたし、「泣いた」って感想が多かったのでそのつもりで観に行ったのが悪かったのかもしれないけど、映画としては好ましい作品だなとも思ったんだけど。泣けなかったし、正直あまりのれなかった。好みの問題なんだけど。

宮部が、「自分が死んでも戦局はなんにも変わらないが、妻子の人生は変わってしまう」から、妻子のために絶対に死にたくないというのが、たぶん、ちょっとのれなかったんだと思う。単純に、言葉のあやだよなあとも思うんだけど。

宮部がいなくなったら、そりゃもちろん妻子の人生は変わるのだ。経済的に困窮もするだろう。でも、だとしても、それもまた、尊重されるべき妻とこどものそれぞれの人生だよって思ってしまって。いくら夫で父親だからって宮部は彼らの人生をもっと尊重してあげなければいけない、と思ってしまったんですよね。
妻とこどもを愛してるから、離れたくないから、いやもっと直接的に「苦労させたくないから」死にたくないと言うのなら、もうちょっと素直に映画を観られたのかもしれないなあと思うけど、「変わってしまう」と言われたら。そりゃ変わるよ、でも宮部がいたっていなくたって人生は変わってくよって気になっちゃって…とはいえ、宮部の言葉は一家の長なら当たり前の言い方なのかもなとも思うし…なんか…いろいろ考えるとよくわからなくなるんだけど…とにかくあんまりのれなかったなあ。

ただ、彼の生が、すれ違ったひとたちの人生に影響を与え、その人たちの中に宮部が今も息づいているということが、なんにも特別じゃなくありふれた奇跡として描かれていて、そこはとても好きでした。岡田君の存在感もとても素敵だと思ったし、あと三浦貴大君。彼のことをテレビドラマで初めて見たときは「あんまり冴えない感じ…」と思ったものですが、最近いいなと思ってます。青臭さと鈍重さと繊細さがないまぜになった顔だなあと思って。