『最高の離婚』の再放送と石原さとみ

たいへんな雪でした。今日は朝から雪かきをしたのですっかり疲れてしまい、やらなくちゃいけないことがたくさんあるのにもう自分の体が使い物にならない。雪に埋まりながらコンビニまで行ってチョコレート買ってきて、コーヒー煎れて、昼寝して、でもまだ、なにもやる気がおきない。
しかし、昨年干潟に鳥を観に行くので買ったゴム長靴が大活躍してくれたのには非常に満足。嬉しい。そして、柔らかくて綺麗な雪で、雪かきがしやすかった。


ドラマのこと、思ったことのメモ。いくつか。


最高の離婚
今更ですが、スペシャルに向けて再放送をしていたのを見ました。
連ドラというのは、当たり前のことなんだろうけど、やっぱり1話からちゃんと見ての積み重ねがあってこその最終回のカタルシスなのですねえ。昨年冬に放送されていたときは、5話だったか6話だったかあたりから見始めて、それでも十分面白かったけど、でも見逃していた前半の人物描写があるのとないのとでは、ドラマから受け取るものの深さが全然違いました。

主要人物4人の中で一番感情移入してしまったのは、瑛太演じる光生だなあ「いろんなことがちゃんとできない」って台詞でグッときてしまいました。
「大縄跳びみたいな。ぐるぐる回ってる。みんなはその中で跳んでて、入れっていう。入ってみると縄が僕の足にひっかかってとまってしまうんです。何をどうしたらいいのかわからない。」
これ、泣けました。空気が読めない、まわりにいらついてしまう、自分のやりたいようにやってしまう、なんか変…て、だからといって優しさや思いやりを持っていないわけじゃない、人間として否定されることはないんだよなって、あったかい気持ちになりました。いろいろなことは、いびつなのが当たり前だ。ちょっとずつ人間関係の中で築いていくしかないんだなあと。

前回視聴したときも胸を刺された「負けてるほうは正しいことばかり言ってしまう」という台詞は何度聞いてもぐさっとくる。それで、上原さんのまわりのガールズたちがことごとく上原さんに負けてしまっていることが笑えたし、胸が痛みました。一見偉そうな態度で全てを悟ったようなことを語る、上原さんに紅茶をひっかけた女も、結局は上原さんに負けちゃってる、許しちゃってるんですよね。馬鹿だ。大馬鹿で愛おしいなあと思った。

最終回の灯里の「自分を好きになるよりも誰かを好きになるほうが簡単」って発言にひっかかってしまった。しかもそう言っている灯里は、お腹に赤ちゃんがいる。女ってそういうものでしょ、ってことなのかなって、どんな気持ちで、男性である脚本家はこんなこと灯里に言わせてるんだろうなと怖いなあと思った。



気持ちのすれちがいを楽しく馬鹿馬鹿しく美しく切なく描いたドラマだったなあととても面白かったのですが、ただ、アイドルが出てくるくだりだけは腑に落ちなかったなあ。あそこだけ扱いががさつな感じがした…。光生がアイドルにうつつをぬかしているのに気がついた結夏が怒りだすのも、ちょっと「なんだかなあ」だった。

スペシャルのほうのドラマはちゃんと録画できたかなあ。そういえば昨日は大雪の中、何度か停電にもなった。ろうそくを灯して、外では屋根から雪が落ちる音がドサッドサッと響いてきた。「心細い」ってこういうことだなと思った。




失恋ショコラティエ
第1話しか観ていないのですが、ちょっと感銘を受けたのでここにメモ。

わたしはある時期からの石原さとみが非常に非常に苦手で。見てるとなんだかざわざわするんです。
昔、彼女がまだ少女で出始めだった頃は「なんて可愛い女の子だろう。好みの顔立ちだ」と思っていたのですけれども。自分が愛されて育ってきたという自信が彼女を素朴に美しく見せているんだろうなと思ってた。…なのですが、あるときラジオで喋っているのを聞いて、何故かこころが「ざわっ」として苦手意識が芽生えたんですよね。その後、彼女は大人になるにしたがってどんどん綺麗になって、それと共にどんどん私の中の「ざわっ」が大きくなり、そしてここ二三年で石原さとみは以前にも増してとても美しくなったなあと思うんだけど…美しくなったことで「ざわっ」が抑えきれなくなって、ほとんど禍々しいものを見るような気持ちでいたんですよね…
その石原さとみの「ざわざわ」が、こんなにもわかりやすく、カリカチュアライズ(…?)されたかたちでドラマで提示されるとは、石原さとみは既にそんな場所にまで…そんな高みにまでたどり着いていたんだなあと、すごいな、となんだかよくわからない感動を覚えました。
ドラマ、面白かったです。(…見続けてはいないのですが…)



軍師官兵衛も面白く見てます。岡田君かっこいい。それについてもまた改めて書きたいです。