トーべ・ヤンソン展

横浜での打ち合わせの帰りに「今日行かないと結局行き逃すかも」との危機感に急に襲われて「トーベ・ヤンソン展」に行ってきました。すごくよかった!素晴しかった。これはメモしておかなきゃと久しぶりにブログを開いてみました。


ムーミンは子供の頃に読んだきりで、いつかちゃんと読み返したいと思いながらいまだ実行していない…あとムーミンと関係のない短編集で割に好きな本が一冊ありますが、トーべ・ヤンソンにはその程度の馴染みしかない。…のですが、今回の展示のポスターやチラシのメインのイメージとして使われているムーミンの挿絵がすごく印象的で「これはぜひ行かなきゃ」と思っていたのです。


こんな世界的な作家をつかまえてこんなことを言うのはひどく馬鹿馬鹿しいのだけど、「このひと天才なんだな!」と興奮しました。ムーミンの挿絵っていろいろなグッズになっていて巷に溢れているから、多くの人がわりに簡単にそのイメージを頭に思い浮かべることができて、その絵から、世界や自然の厳しさとか深淵さとか、個々がひとりで生きて行くということ、孤独、不安、あるいはそれとは逆に、人々がよりそって生きていくということ、なんとなくそんな世界観を思い浮かべる人は多いと思うけど、そしてそれって当然ながらトーべ・ヤンソンのもつ彼女自身のパーソナリティーでもあると思うんだけど、すごいなあと感動したのはその世界観が、本当に小さな頃の落書きのような絵にも現れていることでした。いや、うまく言えないけど「世界観が現れている」んじゃなくてトーべ・ヤンソンの絵は「絵が世界」だと思ったんですよ。彼女は、表現者として「孤独を表現しようしている」んじゃなくて、彼女の筆から産み出されるものがそのまままるっと「孤独」であったり「愛情」であったり、つまり表現することと生きていることが一致しているんだと思った。

そしてごく若いうちから…というかきっと生まれつきのものだと思うけど、グラフィックデザイナー的な才能が早くから完成されていて、どんなに自意識が垂れ流されているような面倒臭い絵を描いていても、「他人に見せるもの」としての見せ方を強烈に意識していて、だから何を描いてもある種のユーモアを伴って伝わってくるんですよね。自分自身をクールに突き放してみることができた人なんだなと思う。


ムーミンというキャッチーなキャラクターを作品として産み出したことは、本人の心の中ではどういう位置づけになっていたのかわからないけど(ムーミンハウスをパートナーと作ったりして、もちろん深く愛していたであろうし好きであったことは確かだと思うけど)、彼女の持っているなにかが、例えばそれが管のようなものを通って流れていくのだとしたら、ムーミンがいたことで管が詰まることなくするっと流れていきやすくなった面があったんじゃないだろうか。そして、彼女が発信するなにかが、ムーミンというアイコンがあるおかげで他人に伝わりやすくなるという役割は、きっと、おおいに担っていたんだろうなあと思った。

闇と水の表現が綺麗でした。「不思議の国のアリス」と「指輪物語」の挿絵もあった。


ところで美術館に行って出るといつもたいていとても疲れる。久しぶりに行ったし、そもそもが寝不足だったし。帰りの電車で寝過ごしてしまって、帰宅したらもう16時だった。せっかく打ち合わせを午前中に、しかもわざわざ我が家に寄った方面まで来てもらったのに、結局こんな時間だよ、とちょっとがっかり。
仕事が終わらなくてイライラしてる。帰ってパソコンを開いたら納得のいかないダメだしのメールが入っていて、勢いにまかせて思わず本音…感じていた疑問とか企画に対する不信感を、返信で、あまりオブラートに包まず書いてしまった。身もふたもないことを書いてしまった、酷かった…と反省と後悔に苛まれていたけれども、辛抱強い内容の前向きな返答をいただく。ありがたいなあ。そして疑問点が多少解消されて(おそらく彼も疑問は持っているんだということがわかって)、それがすごくよかった。ありがたかった。