映画『プレステージ』

クリストファー・ノーラン監督。憎悪と嫉妬がからまった奇術師二人のお話。

ああ、これはすごい。壮絶。さいしょはちょっとぼんやりした気持ちで見てしまったのです。だけど一度見終わって「あそこはどういう意味だったろう?」と見返していくうちに、単純な仕掛けに見えたトリックが実はもう一段も二段も深いものだと気がつき、見えていた景色ががらりと変わりました。何度か見返した今でも、なにが本当だろう、自分は今どのくらいだまされているだろうか、私の目に見えているのは何なんだろう、と思う。


「銀のくじゃく」という、安房直子さんの短い童話があって、それは美しいものに魅入られてしまった機織りの運命を描いたものなのです。機織りにとっての「美しいもの」、それは他人からは悪魔からの使いのように見えていて、そして実際に「美しいもの」に魅入られてしまった機織りは、さいごは美にとりこまれてしまう…といったようなお話です。


この映画を見ていて、なんとなく「銀のくじゃく」を思いだしてしまった。主人公のアンジャーは確かにマジックという悪魔に捕らえられていて、だって彼は舞台にたつたびに本当の意味で毎回自分を殺害するんですよね。でもその果てに奇術師として得られる最高の恍惚を味わい、やがて消えてゆく。そして一方でライバルであるボーデンもまた、マジックの前に自分の人生そのものを差し出している。
「魂を売る」って、言葉の上ではよく使われる表現だけれども、この映画の中では主人公たちの「魂を売った」生き方が映画全体のトリックとそのままぴったりリンクしてる…ってところに壮絶に胸をえぐられました。文字通りの意味の「魂を売った」人間が実際に「魂を売る」現場を、彼らの舞台を見に来た観客達はマジックとして見物し、また同時に、映画を見ている人たちはそれを彼らの人生そのものとして見せつけられる。入れ子みたいな構造の、贅をこらした不思議で綺麗な箱みたいな映画だと思った。


つづく