東京都庭園美術館

「アーキテクツ/1933/Shirokane」展 + 「内藤礼 信の感情」展

改修されてリニューアルオープンした庭園美術館を「建築」という観点から見せながら、同時にその同じ空間で、内藤礼さんによるインスタレーション「信の感情」展が開かれていました。建物のあちこちのすみっこに内藤礼さんの手による小さな木の人形がぽつんとたたずんでいる…といった内容の展覧会だったのですが、この企画はとても洒落ているなあというか、粋だなあと思いました。新しくなった建物の紹介の展示と、その中で、まるでこの館の精霊たちが挨拶でもしているかのような展示が共存していて。
図録の解説で学芸員の八巻さんが内藤礼さんのこの展示のことを「地鎮祭」と呼んでいるのですが、なんだか本当にそんな感じだった…うーん、地鎮祭っていうか…小さな人形が置かれたことで建物に改めて命が宿ったみたいというか、息を吹き返す合図がなされたみたいというか…なんだかそんなような、とにかく綺麗な新鮮な風が吹いている展示だなあと思いました。


内藤礼さんの木の人形はまるで館の精霊のようで…家や土地からぽこっと生まれでたばかりみたいな、あまりにもシンプルすぎるかたちをしていて、鼻も口もなく、だけど目だけが描き込まれていて、その多くが鏡をむいて立っているんですよね。すんでのところで人じゃないかもしれないような曖昧な形をした生命達、でも彼らが鏡のほうを向いて立っていることで、なにかを「覗き込んでいる」「見つめている」という行為、意思がそこに生じて見える。そしてその見つめているものが1933年に建った古めかしいお屋敷にしつらえられた鏡であるという事実に思いが至ると、鏡を見つめる人形、その人形を見つめる自分が、時間の長い長い流れの中に今立っているんだなあと、なんていうか…とても…なんだろう?しみじみと不思議な気持ちがしたなあ。

この古い邸宅の中でひそやかに、小さな呼吸を繰り返しながら、歩いたり立ち止まったりしているであろう人形達は、だけどこの展示が終わったらどこか別の場所に移動していなくなってしまうんですよね。「いま、ここにいること」について不意をつかれたように実感させられ、そして考えさせられる展示でした。


あと、小さいひと…ってことで、岡田君を思いだしました。